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ALANの日記 1か月が来ます パニック寸前 [家族]

ALANが生まれて 1ヶ月になりました。


生まれて6日で 退院しました。

彼女は 翌日には 普通に歩こうとしているところを ナースに止められたぐらいです。

ナース達は 彼女の快復振りに 驚いていました。



退院の日、

妻はスタッフ達に言ってました。

また直ぐきますので よろしくお願いしますと。

今度は女の子よ。

皆がキョトンとしていました。

一番驚いたのは 私かもしれません。

 

我が家で 3人家族の スタートです。

我が家が とても狭く感じます。

アランの為に 揃えた物で一杯です。


ALAN中心の生活です。

だいたい2時間毎に オムツ替え、母乳、ミルクを飲ませます。

家に帰った頃は 20CC ぐらいしか飲んでいませんでした。

しかし今では 100CC ほど飲む様になりました。

体重もかなり増えたのでは?


明日 病院へ1カ月目の 定期検診に行きます。

その時 体重測定です。

楽しみです。


ウンチは時々 長時間出ないことも有ります。

時々 綿棒で浣腸しています。


私達二人は 右往左往しながら この1カ月を過ごしてきました。

少々睡眠不足になっています。


アランは今の所、昼間によくねています。

夜は比較的起きている様です。


夫婦して 夜中の対応を なんとなくヘルプしあっています。

彼女は夜中の2,3時ぐらいまで、

私は朝方の4時頃から見ていると言った具合です。


ALANはどちらかと言うと私に似ています。

中々の good  ボーイです ?



何事も無く、無事に 育って欲しいと 願っています。

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生まれ故郷 デンマークへの旅行は涙なみだ [家族]


私の妻は9歳の時 日本に来ました。


来ましたと言うより 日本人の父親が 家族を連れて 日本へ帰って来たのです。


それから彼女は 26年間 日本に住んでいます。


彼女は デンマークに 帰りたがっていました。

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私達は 出逢って8年になります。

私は彼女の夢を  少しでも 叶えてあげようと思いました。


彼女に デンマーク旅行を 提案しました。


4年前になりますが

二人で コペンハーゲンとパリへ 行ってきました。


私はヨーロッパ スカンディナヴィアは 初めてでした。


とても 感動しました。 

すばらしい旅行になりました。


彼女は本当に 夢見心地だった様です。



何年かぶりの お兄さんとの再会


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育ったマンション 遊んでいた公園 通った学校 チボリ公園。


思い出が よみがえる度に 涙をためていました。


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そして お父さんが働いていた グリルバールで 食事をしました。

彼女は幼い頃に 母に連れられ よく来ていたそうです。


グリルのオーナーに 挨拶しました。

オーナーは 大変驚き 感激していました。


彼は お母さんにそっくりになった と言ってました。


そして彼女はすぐに 父親に電話をかけました。


電話の向こうの お父さんも 驚いた様で 何十年か振りに オーナーと 会話をしていました。



行ったのは クリスマスの時でした。


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お兄さんは

奥さんの両親が主催する

クリスマスパーティに 私達を 招待してくれました。


彼女は 子供に戻った様に はしゃぎ 楽しんでいました。



いつまでたっても色あせない 素晴らしい思い出です。



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近いうちに

今度は 子供と3人で 行きたいと思っています。






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瀬戸大橋の思い出は 父のあたたかさとオーバーラップ [家族]

久し振りに  瀬戸大橋 をわたります。


車で 瀬戸大橋を 駆け抜けようとしていました。

瀬戸大橋の上で スピード違反で とめられました。


ショックは 何もなく

早く帰りたい 父に 会いたいと

この場を 早く解放して 欲しいと 思っていました。




あれから 早いもので

今日は 父の13回忌法要 の日です。



   あっ    今    瀬戸大橋の上です。



空が 夜明けの空が 少し赤みを  帯びて来ました。

とても  穏やかな海です。

貨物船の  往来が見えます。

まるで  とまっている様に、静かに動いています。



母が 一人で住んでいる島へ  何年かぶりに 帰ります。

母は亡くなった  父の墓を  一人で 守って来ました。


私は 社会人になって

ほとんど 両親と会うことは 無くなりました。

県外に就職して 盆正月に たまに帰る程度でした。

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あっという間に 母は 78歳になった様に 感じます。


父は72歳で 亡くなりました。

もし 父が生きていれば

母の人生は もっともっと 楽しかったでしょう。


父が 生きている時は 二人は よく旅行をしていました。

気丈な母だけに 人には見せませんが

一人暮らしの 寂しさは 辛いものがあると思います。


私が 幼い頃の事が今

走馬灯の様に 思い出されます。


兄妹が多くて 賑やかな 食事風景。

正月の料理の準備   餅つき   動物園    スケート 海水浴。

本当に 懐かしい。


母に会うと 言葉が 無くなります。

会うだけで 良いのです。


しかし 母は 矢継ぎ早に 質問し

近況を とめどなく 話します。

私は黙って うなずきながら 聞くだけです。



願っている事は 一つだけです。


いつまでも 元気で 気丈でいて ほしいと。


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アランの日記 退院日はハッピーライフのスタート [家族]

初めて 子供を授かりました。

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赤ちゃんの名前は アラン。

ボーイです。


8年間  彼が 我が家に 来るのを 待ちました。


ドクターに相談して

生理のリズムをチェックして生活を送りました。

半文あきらめていました。


二人で 幸せな ハッピーな 生活をしようね。 と言ってました。

しかし、ドクターのアドバイスで

ポリープ手術をした後に 妊娠しました。

とても とても 幸せな気分になりました。


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やっと 母になれるんだ。
  
家族が持てるんだ。


主人はもっと 驚いていました。

やっと出来たか!


私たちはベビーを ハワイで育てたいね。

ヨーロッパで育てたいね。

色んな 話をしていました。



しかし 主人の仕事が 8年間に 4回チェンジしました。

営業の仕事をしているので、よい時と 悪い時の差が 激しいです。

今は LED関連の経費節減の 営業をしているので 将来的にかなり 希望が持てます。




そして私は2月12日に出産して 順調に回復しています。


3月からは 私がしている英語スクールも 再スタートです。

生徒のみなさん 1か月 お休みして ごめんなさい。 

これからも よろしくお願いします。


いつになるか分りませんが

私が生まれた国 デンマークへ

マイベビー アランを 連れて行きます。


教育はたぶん

日本よりヨーロッパの方が

優れているように 思えます。



日本の教育は ただただ教えるだけの様です。

そこには ルーツを教えようと していない様な気がします。


たぶん教育、勉強はもっとインタレスティングなはずです。

エンジョイしていませんね。


教育の仕事をスタートして 4年になります。

すごくエンジョイしています。

奥が深いです。


日本人に英語を教える

プロフェッショナルに私はなれます。


ジャパニーズガバメントには 出来ない事かもしれません。

現実に 出来ていませんね。

少しシステムを 変えてはいますが。



だから 私たち外国人が 出来るのです。

私は ボランティアで ラジオ番組で英語を 教えていました。

また近い内に再開します。


マイボーイには

世界で 活躍して欲しいと 願っています。


私が日本で英語を教えている事は

ほんの 小さなスタートでしか ありません。



子供達、 世界中の子供たちに
 
自由に 世界を飛び回って


ハッピーな 世界を作って欲しいと 願っています。




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DIY 北欧スタイルのインテリア [家族]

私たちは 一緒に住んで 8年程になります。


大変 古い10階建ての マンションに 住んでいました。


築45年ぐらいだったと思います。


全部で450戸ぐらいのマンションで

私たちのフロアー4階は 2戸しか住んでいませんでした。


廊下の 端から端まで 掃除をして 窓ガラスも 掃除をしていました。



なぜかと言うと

奥様が 英語のスクールを していたので

結構 人が来ていました。


まるでこのフロアーは 私たちの物の様に手入れして

エレベーター前には花も置いていました。
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マンションの外見、廊下は古さ がありました。



しかし、一歩私たちの家に入ると、そこはヨーロッパです。

ゲスト、生徒さん達 皆が一様に 驚いていました。


私たちは 勝手に 室内のドア、壁、天井を 色んな物を作り変えたり

塗ったりしていました。


本来は このマンションを出る時は 元通りにしなければなりません。


ラッキーな事に

オーナーから 建替えのため 出て行ってほしいと

引っ越し費用 何ヶ月かの家賃 免除で出る事が出来ました。


本当にここを出る時 はどうなるか 心配する程

色んな物を塗ったり 作ったりで

生活を 楽しんでいました。



今は 住んでいた隣のマンションに 引っ越しをして 1年半になります。


やはり 海の見える 景色が欲しくて このエリアにしました。


今度は10階です。



ベランダからの 景色はとても 感動的です。

妻のリクエストで 室内をまた 

塗ったりしながら

北欧スタイルに チェンジしています。


妻はとても 満足しているようです。


オリーブのあるバルコニーはまるでエーゲ海 [家族]

 
私たち夫婦は インテリアが大好きです。


特に妻は何に対しても  愛情がいっぱいです。

  花、植物は特に好きです。

花とか観葉植物に話しかけながら  水をあたえているのです。
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何時か忘れましたが、テレビで見たことがあります。

ファーマーが自分で作っていいるハウス栽培の中で 

クラッシック音楽を聞かせながら 育てている場面がありました。

植物はすごく リラックスして  育った 話です。

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私たちのホームは  とても  すてきです。

海の見えるバルコニーは オリーブの木が 風に揺れています。



その向こうに見えるのは、海と島だけです。


この眺めは 最高です。


このマンションの風景を とても気に入っています。


まるで イタリアのどこかの 小さなホテルにでもいる様な 気分です。


私は目が醒めるとカーテンを開け 海を眺めるのです。

今日の天気は 穏やかだとか

風が強いとか チェックしています。

また、家に帰ると 直ぐに窓際に行き 海を眺めます。



最近今年一番の バラが咲きました。

ピンクのバラが 咲きました。



バラとオリーブと海。


とても素晴らしい景色です。



オリーブは4,5年前に

どこかの公園で 売っていた苗を 2鉢買って帰って

大きい鉢に植え替えたものです。



いつからか実がなる様になりました?

私は剪定をしながら 太くしていこうとしました。

しかし妻が 剪定しないでと言ったので、そのままにしています。

それが良かったと思います。



細長く伸びた枝は、風になびき雰囲気があります。

所々ベランダの手すりにとめていますが

部屋から外を眺めた時はオリーブが

風に揺れその向こうに 海と島が見えます。



お客様が来た時は 本当に感動して

すぐに窓際に行きます。



私は 妻に すごく 感謝しています

彼女の インテリアセンスは  特別です プロフェッショナルです

いつも リラックスしています  

我が家が  ナンバーワンです。


こんな我が家を いつも キープしてくれている 彼女に 妻に 感謝しています



妻へのプレゼントは

イタリアへ旅行して

この景色の様なホテルで

のんびりと過ごしたいと思っています。


妻には何もさせない 何もたさない ただ ただ そこにいるだけ 

家族の会話だけ 

I LOVE JOKO 


サプライズ 退院の日がやって来ました [家族]

私たちの ベビー の名前は ALAN (アラン)

2016年 2月12日 14:55生まれです。

3320g の男の子です。


破水している様で すこしづつ でていました。

このままではよくないと 陣痛促進剤の点滴を 始めました。


出産までに 5時間でした。


ナースからは 初産の時は

10時間以上かかる事は良くあると 言われていました。


ドクター ナースが 部屋に10人ほどいましたが

皆が驚いたぐらい ワイフは 強かったのです。



ドクターは りきむ力が 強いのに驚いていました。



私は スタッフの邪魔にならないかと

部屋の隅から ただただ 見ているだけでした。



ドクター ナースが 慌ただしくなってきました。


ワイフの声が 一段と大きくなりました。


ALAN が徐々に出てきました。




    生 ま れ た 




一段と 慌ただしくなりました。

胎盤が 2つあり ベビーが生まれた後

2つ目の 胎盤を 取り出して

見せてくれましたが 結構大きかった。

この様なケースは めずらしい様で 写真に収めていました。


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入院生活は 短く感じました。

今日は2月17日です。

あっという間に 6日目です。



ワイフの 入院生活は 快適だった様で

二人目の 女の子の時も ここで産みたいと 言ってました。

もう 二人目は 女の子と 決めているのには 私もビックリ。



私は退院前夜 初めて付き添いで 同じ部屋で 一泊しました。

親子 3人 水入らずです。



今日は ALAN と ワイフと 3人で 我が家へ帰ります。



3人家族に なりました。


多分 しばらくの間の 3人家族生活の スタートです。



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ALANの日記 今日はバレンタインデー [家族]

ALAN(アラン)は

2016年2月12日(金曜日) 14:55に 3320gで生まれました。
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ママと一緒でみずがめ座です。


デンマーク生まれのママは

英語のスクールを一人で経営しています。

出産2ヶ月前ぐらいから歳の近いお姉さんがヘルプしていました。

生徒さん達には2月はお休みしますと早くから案内していました。


3月から再開です。


みんなが驚いています、

そんなに早くスタートさせて身体大丈夫?



私の妻はデンマーク人。


デンマークと言えばバイキングの国、強い国です。


妻にはそのルーツが間違いなくあります。


妻は初産です。

ドクターは驚いていました。

出産のときに

吸って、はいて、りきんでと言っている横で

すごいパワーがあると感心していました。


出血も結構あった様ですが、平然としています。



翌朝には歩こうとしていましたが

ナースが心配して止めました。

面会に来たお姉さんに会いに行くのに

歩いてはダメ、車椅子を使って下さいと用意されました。


お姉さんも驚いたでしょう。

電話で元気に会話をしているのに

会いに来たら歩けないと思われて。



すぐに笑い声が響きました。



ALANは静かに寝ています。

よく寝ています。

時折物音で、ビックリした様に動きます。


私たちはできるだけ

物音を出さない様に気をつける様になっていました。



今日はバレンタインデー、日曜日。

私は8時にふたりのもとへ来ました。


久しぶりに、

のんびりと3人で

過ごそうと思っています。
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ベビーが生まれました 名前は ALAN [家族]

陣痛促進剤の点滴 を始めて 5時間が過ぎました。

陣痛 は順調に リズムよく来ています。

最初は5分から110分毎に、今は1分から3分毎に来ています。

陣痛が 来るたびに 妻の声は 次第に大きくなり、苦痛で顔、体を動かします。


そばにいるだけの私は、

ただただ手を握ってあげたり、

腰をさすってあげたり、

何もできないで そこにいるだけです。



ナースが慌ただしく動き出しました。

最初は一人、二人のナースがいましたが、

出産の準備で次第に増え

ドクターが来た時は8名のナースになっていました。


へその緒が2重に首に巻いていると

診察の時から聞かされていたので、心配でした。


また、胎盤が2つあるのも聞かされていたのでその事も心配でした。

しかしドクターは事前に分かっているので、対処は考えられる。

心配しなくて良いと言われていました。

病院に来たのは3時、陣痛促進剤を始めたのは9時。



ついに 生まれた ❣ ❣ ❣



マイボーイ  ALAN (アラン) と会ったのは 14時55分  3320gです。


本当に感激しました。


出てきた時、泣き声はありませんでした。

別のドクターが来て診察していました。

しばらくして泣き始めました。


ホットしました。

感動が込み上げて来ました。


15時40分 私は マイボーイ と ハイタッチ をして 妻を祝福しました。


私の妻は本当に素晴らしい。

そして とても 強い。 

ドクターに呼吸、力の入れ方を言われ、
大声で叫びながら私の方を向いて [指でOK] 親指を立てて心配しないで、まかせてと言ってたと思います。


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共通テーマ:妊娠・出産

陣痛が始まりました [家族]

ベビーの名前は ALAN (アラン) です。


私の妻はデンマーク生まれです。


ベビーを産む時は デンマーク で産みたいと言ってました。


しかしそれを

叶えてあげられませんでした。

多分かなり前に言ってた事で、忘れているかもしれません。



陣痛促進剤の点滴をする事になりました。

はじめてから5時間近くなります。

陣痛が着々と進んでいます。

ナースは近くで呼吸方を教えながら背中をさすっています。


ナースがいない時は私がさすりますが、何も言えない、言葉が出ません。


妻の痛みはだんだん大きくなって来て、声も大きくなって来ました。



そばでただただ見ているだけです。



ナースは今は50%ぐらい開いている。


100%開かないと生まれてこない。

頑張りましょうと声をかけています。


時折 ナースの診察の時 私は部屋の外に出ますが、

妻の痛みに耐えている声がよく聞こえて来ます。



つくづく思います、男は弱いと。



痛みに耐えている妻の声を聞きながら

何もしてやれず、ただただ祈るだけです。



ママ、ベビーともに元気でいて欲しい。



今も部屋の中から

ナースの励ます声、呼吸を整えさせる様に一緒に呼吸をする音。

そして70%開いていますよ。 と話しかけています。



妻の声は一段と大きくなってきています。



私は ただただ そばにいるだけ

不安な気持ちでそばにいるだけ


ナースが言いました。

ベビーもママも異常は無いと順調にいってますと。


そう言われても  


少しのホット した気持ち だけで 不安は消えません。



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